聖フランシスコ・ザビエル - The Sacred Secret
聖人

聖フランシスコ・ザビエル

フランシスコ・ザビエル/フランシスコ・デ・ハビエル
San Francisco Javier(西)/ Saint Francis Xavier(英)/ Sanctus Franciscus Xaverius(羅)
◆ 年代1506年4月7日〜1552年12月3日(享年46歳)
◇ 出身地スペイン・ナバラ王国・ハビエル城
◆ 祝日12月3日
◇ 守護分野宣教師・日本・インド・ナバラ・外国宣教・カトリック宣教活動・船乗り・航海士
◆ シンボル
十字架 百合の花 イエズス会の会章
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Life / 生涯

フランシスコ・ザビエルは1506年、スペイン北部のナバラ王国、ハビエル城主の末子として生まれた。若くしてパリ大学に進み、哲学を修めた。そこで運命的な出会いが待っていた。同じ下宿に暮らしていたイグナチオ・デ・ロヨラである。ロヨラの情熱的な信仰と使徒的精神に引き込まれ、1534年、モンマルトルの礼拝堂でロヨラら6名とともに誓願を立てた。これがイエズス会の創立へとつながる。

1540年、教皇パウロ3世によるイエズス会の認可ののち、ザビエルはポルトガル王ジョアン3世の要請を受け、インド・アジア宣教の命を受ける。1542年、インドのゴアに到着。貧しい漁師たちの間で精力的に活動し、数年のうちに多くの洗礼を授けた。その後マレー半島・モルッカ諸島へも宣教の歩みを広げた。

1549年8月15日、ザビエルは日本の鹿児島に上陸した。これがカトリック宣教師による日本への本格的な布教の始まりである。約2年間、鹿児島・平戸・山口・京都などを訪れ、苦難の中で福音を伝え続けた。日本語の壁や、想像を超える文化の違いにも折れることなく宣教を続けた彼の姿は、後世の宣教師たちの模範となった。日本を後にしたザビエルは、今度は中国本土への宣教を志す。しかし1552年、広東省沖の上川(サンシアン)島で病に倒れ、12月3日に帰天した。46年の短い生涯に、推計数万から10万人以上に洗礼を授けたとされる。

Episode / エピソード・伝承

ザビエルの宣教活動において、言語の壁は大きな試練だった。インドや日本では現地語がほとんどわからない状態で布教を始めたにもかかわらず、その情熱と誠実さで人々の心を動かした。日本では、各地の大名に謁見しながら宣教許可を求め、知識人との神学的な対話を試みる積極的な姿勢で知られる。山口の大内義隆との対話はその好例とされる。

ザビエルの遺体は腐敗を免れ、現在もインド・ゴアのボン・ジェズ・バシリカに安置されている。10年に1度公開される「聖遺体の公開」には、世界各地から数十万人もの信者が訪れる。1622年にグレゴリウス15世によって列聖され、1927年にはピウス11世により宣教活動の守護聖人に定められた。「インドの使徒」「アジアの使徒」と呼ばれ、カトリック宣教史上最大の宣教師の一人として今も崇敬されている。

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