聖スタニスラウス(シュチェパヌフ) - The Sacred Secret
聖人

聖スタニスラウス(シュチェパヌフ)

スタニスラウス・オブ・クラクフ/ポーランド初の聖人・殉教司教
Saint Stanislas de Cracovie(仏)/ Saint Stanislaus of Kraków(英)/ Stanislaus Episcopus et Martyr(羅)/ Święty Stanisław(ポーランド語)
◆ 年代1030年7月26日〜1079年4月11日(享年48歳)
◇ 出身地シュチェパヌフ(現ポーランド・マウォポルスカ州)
◆ 祝日4月11日(ローマ暦)/ 5月8日(クラクフ地方)
◇ 守護分野ポーランド・クラクフ・道徳的秩序・兵士
◆ シンボル
剣(殉教) 死者ピョートルの復活 司教冠・司教杖 鷲(ポーランド)
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Life / 生涯

1030年7月26日、ポーランド南部シュチェパヌフの貴族の家に生まれました。グニェズノの大聖堂学校とパリで学んだ後、帰国してクラクフ司教の付属司教・説教師として活躍。1072年にクラクフ司教に選出されます。当初、ボレスワフ2世(勇敢王)との関係は良好でしたが、王の不正な戦争・暴政・部下の妻たちへの虐待を公然と批判するようになります。また修道院の土地買収を巡るピョートルとの訴訟で、スタニスラウスが死後3年のピョートルを墓から蘇らせて証言させたという奇跡的な伝承も残っています。

王を破門し、スタニスラウスが説教する聖堂では礼拝を中断させるほどの対立が続くと、激怒した王は護衛に司教の暗殺を命じます。しかし護衛たちはスタニスラウスの前に立つたびに恐れて引き下がりました。遂に王自らがクラクフ郊外の礼拝堂でミサを捧げるスタニスラウスを剣で斬殺します(1079年4月11日)。その後ボレスワフ2世は国民の怒りを買ってハンガリーへ亡命しました。1253年に教皇インノケンティウス4世がアッシジで列聖。以来ポーランド国民の精神的支柱として700年以上にわたって崇敬されています。

Episode / エピソード・伝承

教皇ヨハネ・パウロ2世(元クラクフ大司教カロル・ヴォイティワ)は、スタニスラウスを深く崇拝し、966年のポーランドのキリスト教化を「ポーランドの洗礼」と呼ぶのに対し、スタニスラウスの殉教を「ポーランドの堅信」と呼びました。1979年、教皇は聖スタニスラウス殉教900周年のポーランド訪問を計画しましたが共産主義政府に阻まれ、6月にずれ込みました。しかしこの歴史的訪問が1980年の連帯運動・1989年の共産主義崩壊の原動力となりました。スタニスラウスは過去の聖人であるだけでなく、現代ポーランドの民主化にも深く関わった守護者として今も生き続けています。

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