聖ピエール・シャネル - The Sacred Secret
聖人

聖ピエール・シャネル

ピエール=ルイ=マリー・シャネル/オセアニア最初の殉教者
Saint Pierre Chanel(仏)/ Saint Peter Chanel(英)/ Petrus Ludovicus Maria Chanel(羅)
◆ 年代1803年7月12日〜1841年4月28日(享年37歳)
◇ 出身地ラ・ポティエール(現フランス・アン県)
◆ 祝日4月28日(ウォリス・フツナでは祝日)
◇ 守護分野オセアニア・宣教師・困難な環境での宣教活動
◆ シンボル
斧(殉教の道具) 棕櫚の枝(殉教) マリスト会修道服 南洋の島(フツナ)
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Life / 生涯

1803年7月12日、フランス・アン県の農家に生まれました。幼少期は羊飼いとして働き、地元の司祭がその聡明さと信仰心に気づいて学校に入れます。神学校を経て1827年に司祭叙階。貧しい荒廃した教区を3年間で見事に立て直した後、宣教師への夢を持ちマリスト会(聖母の会)に入会しますが、5年間は神学校教師として奉仕するよう命じられました。ようやく1836年、マリスト会の7人の宣教師団のリーダーとしてオセアニアへの派遣が実現し、12月24日にフランスを出港。11か月の航海を経て1837年11月にフツナ島に到着します。

フツナ島(現ウォリス・フツナ・フランス領)の言語を習得し、少しずつ改宗者を増やしていきました。しかし島の王ニウリキは、キリスト教が自分の権威と祭祀的地位を脅かすことを恐れていました。1841年、王の息子が洗礼を希望したことで王の怒りが爆発。王の義理の息子ムスムスが手下を率いてシャネルを斧と棍棒で殴打し殺害します(1841年4月28日)。彼の死の5か月後、島全体がキリスト教に改宗しました。1954年に教皇ピウス12世によって列聖。

Episode / エピソード・伝承

シャネルは殺害される前夜「私が殺されても構わない。宗教はすでにこの島に根付いた。神から来たものは人の死によっては消えない」と語ったとされています。この予言通り、彼の殉教は島民の心を動かし、最終的に全島がカトリックに改宗しました。殺害を命じた王の義理の息子ムスムスさえも後に回心し、死の床で「自分の墓をシャネルの聖堂の入口の土の下に埋めてほしい、参拝者が聖堂に入るときに踏み越えてもらいたい」と言い残したと伝えられています。シャネルの遺骨は最終的にフツナ島に返還され、現在もシャネルの名を冠する聖堂に安置されています。

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