アレクサンドリアの聖アタナシオス - The Sacred Secret
聖人

アレクサンドリアの聖アタナシオス

アタナシオス/アタナシウス/正統信仰の柱
Saint Athanase d'Alexandrie(仏)/ Saint Athanasius of Alexandria(英)/ Sanctus Athanasius Alexandrinus(羅)
◆ 年代295年頃〜373年5月2日(享年約78歳)
◇ 出身地エジプト・アレクサンドリア
◆ 祝日5月2日
◇ 守護分野正統信仰の守護・神学者・教会博士
◆ シンボル
開かれた書物 司教冠と司牧杖 ペン(著述家)
画像準備中 - Image Coming Soon

Life / 生涯

アタナシオスは295年頃、エジプトのアレクサンドリアに生まれました。若くして優れた神学的才能を示し、アレクサンドリア司教アレクサンデルの書記・助祭として仕えます。28歳のとき、キリスト教世界を揺るがす大論争の舞台となったニカイア公会議(325年)に師に従って参加しました。この公会議はキリストの神性をめぐる「アリウス論争」を裁く場であり、若きアタナシオスは師を補佐しながらアリウス派に対して鋭く論駁し、その名を知られるようになります。

328年にアレクサンドリア司教に就任したアタナシオスは、以後45年間にわたってその座を守りますが、その道は決して平坦ではありませんでした。皇帝コンスタンティヌス1世をはじめとする歴代皇帝のアリウス派への肩入れによって、アタナシオスは生涯で5度も司教座を追われ、合計17年間を流浪の亡命生活で過ごします。それでも彼は「アタナシオス・コントラ・ムンドゥム(アタナシオス、世に抗して)」という言葉が示すように、孤独に立ちながらも正統信仰を守り続けました。

最終的にアリウス派は異端として退けられ、アタナシオスは正統信仰の守護者として教会に迎え入れられました。373年5月2日、司教座の地アレクサンドリアで安らかに亡くなりました。後世に「教会の柱」「正統信仰の父」と称えられ、1568年に教会博士に列せられています。

Episode / エピソード・伝承

アタナシオスを5度追放しようとした皇帝コンスタンティウス2世が「全世界がお前に反対している」と宣告したとき、アタナシオスは静かに「それならば、私が全世界に反対するのみです」と答えたと伝えられています。この言葉が「アタナシオス・コントラ・ムンドゥム」の典拠とされ、信念のために孤独に立つ者の象徴として今日でも引用されます。

アタナシオスはまた、砂漠の修道の父・聖アントニオスの伝記を執筆したことでも知られています。この著作は西方世界に修道制度を広める上で極めて重要な役割を果たし、聖アウグスティヌスの回心にも影響を与えたとされています。神学者・修道者・聖人の三つの世界をつなぐ稀有な存在として、東西両教会から崇敬を受けています。

「御言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」 - ヨハネ1:14(アタナシオスが生涯をかけて守ったキリストの神性・受肉の核心)

PICK UP ITEMピックアップ商品

もっと見る
  • メダイのサイズ保管方法

最近チェックした商品

最近チェックした商品はまだありません。