聖パウロ6世 - The Sacred Secret
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聖パウロ6世

パウロ6世/巡礼教皇/第262代ローマ教皇
San Paolo VI(伊)/ Saint Paul VI(英)/ Giovanni Battista Enrico Antonio Maria Montini(本名)
◆ 生没年1897年9月26日 - 1978年8月6日
◇ 出身地イタリア・ロンバルディア州コンチェジオ(ブレシア近郊)
◆ 在位1963年6月21日 - 1978年8月6日
◇ 祝日5月29日(司祭叙階記念日)
◆ 列聖2018年10月14日(教皇フランシスコ)
◇ 守護分野-
◆ シンボル
白い教皇服 第2バチカン公会議の文書 地球儀(巡礼教皇)
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Life / 生涯

ジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニは、1897年9月26日にイタリア・ブレシア近郊のコンチェジオで生まれました。父は弁護士・ジャーナリスト・国会議員でカトリック・アクション活動家、母も地方貴族の家系という知識人家庭の出身です。幼少期から病弱だったため家庭で教育を受け、ジェズイットの学校を経て1916年に神学校に入学、1920年5月29日に司祭叙階されました。

ローマのグレゴリアン大学で文学・哲学・教会法を学んだ後、1922年にヴァティカン国務省に入省。以後30年間にわたり国務省で奉仕し、ピウス12世の最も緊密な協力者の一人として知られました。第二次世界大戦中は難民・捕虜のための情報局を設立して何百万人もの人々の家族との連絡を支援し、ローマに逃れたユダヤ人や迫害された人々の保護にも尽力しました。1954年にミラノ大司教に任命され、1958年にヨハネ23世により枢機卿に列せられ、1963年6月21日に第262代教皇パウロ6世として選出されました。

15年にわたる在位中の最大の使命は、前任者が開いた第2バチカン公会議(1962-1965)の完成と実施でした。公会議の16の文書を取りまとめ、典礼・聖書・教会理解・他宗教との対話・信教の自由など多岐にわたる改革を推進しました。1978年8月6日、カステル・ガンドルフォで帰天。2014年に列福、2018年10月14日に教皇フランシスコにより列聖されました。

Episode / エピソード・伝承

パウロ6世は「巡礼教皇」の名で知られ、現職教皇として100年以上ぶりにイタリア国外への訪問を再開しました。1964年の聖地(ヨルダン・イスラエル)訪問でコンスタンティノープル総大主教アテナゴラス1世と歴史的な抱擁を交わし、1054年の東西教会分裂以来続いた破門を相互に撤回しました。1965年には国連総会で演説し「もう戦争は終わりにしよう、決して戦争はしてはならない」と訴えました。教皇としての旅行は計9回、5大陸に及び、史上初めて5大陸を訪問した教皇となりました。

1968年の回勅「フマネ・ヴィテ(人間の生命)」は人工避妊を禁じる内容で、当時多くの批判を受け、パウロ6世に深い苦悩をもたらしました。しかし彼はその苦悩を信仰の内に受け入れ続けました。1978年に盟友アルド・モーロ元首相が「赤い旅団」に誘拐・殺害された際は、身代金なしの釈放を嘆願する書簡を公開したものの叶わず、葬儀をとり行いました。晩年の内的苦しみの深さが、列聖の過程でも特に注目された点のひとつです。

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