聖人

聖ヨハネ・クリゾストモ

ヨハネス・クリュソストモス/金口のヨハネ/金口イオアン
Ioannes Chrysostomos(羅)/ Saint John Chrysostom(英)/ Iohannis Chrysostomos(希)
◆ 年代347年頃 - 407年9月14日
◇ 出身地アンティオキア(現トルコ・アンタキヤ)
◆ 祝日9月13日(ローマ典礼)/ 11月13日(東方典礼)
◇ 守護分野説教師、弁士、教育者、コンスタンティノープル
◆ シンボル
ハチの巣(金口・雄弁) 鳩(霊感) 司教冠 書物
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Life / 生涯

ヨハネ・クリゾストモは347年頃、シリア州アンティオキアの武将の家に生まれました。優れた修辞学者リバニオスのもとで弁論術を修め、381年に洗礼を受けた後、修道生活に入り6年間の厳しい苦行を行いましたが健康を害して帰郷しました。386年に助祭、翌年に司祭に叙階され、アンティオキアで12年間にわたって説教を行い、その卓越した雄弁さから「クリゾストモ(黄金の口)」の称号を得ました。

398年に東ローマ皇帝アルカディウスによってコンスタンティノープル大司教に任命されました。着任後ただちに聖職者の腐敗・贅沢を改革し、宮廷の?美な生活を批判し、病人・貧民への援助に財を注ぎました。これが皇后エウドクシアの怒りを買い、2度の追放を受けました。最初の追放(403年)は地震により短期間で撤回されましたが、2度目(404年)は最終的なものとなり、ポントゥスの僻地への流刑途上、407年9月14日にコマナで帰天しました。

438年にその遺骸はコンスタンティノープルに返還され、皇帝テオドシウス2世が棺の前に跪いて父母の赦しを請うたと記録されています。東西両教会で「教会博士」「ヴェリキー(大いなる者)」として崇敬され、正教会では「三聖教父」の一人です。

Episode / エピソード・伝承

クリゾストモの説教は400編以上が現存しており、今日も神学・説教学の標準的参照資料です。彼は「聖体拝領から遠ざかるのも近づきすぎるのも両方危険だ」という逆説的な言葉や、「もし皇帝が貧人を踏みにじるなら、私はその皇帝と戦う」という直言で知られます。流刑の道中、衛兵たちが意図的に悪天候の中を歩かせ続けたと伝えられますが、彼は「すべてのことに感謝する(Deo gratias)」という言葉を絶やさなかったといいます。最後の言葉も「すべてのことについて神に感謝」だったと記録されています。

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