教皇聖クレメンス1世 - The Sacred Secret
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教皇聖クレメンス1世

クレメンス1世/クレメンス・ロマヌス
Saint Clement I(英)/ Clemens Romanus(羅)
◆ 年代生年不詳 - 99年頃
◇ 出身地ローマ
◆ 祝日11月23日
◇ 守護分野船乗り、大理石職人、石工、子どもたち
◆ シンボル
錨(海中への殉教) 教皇冠
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Life / 生涯

クレメンス1世は初期キリスト教において第3代または第4代ローマ教皇とされています(リノ、クレトを経たか、あるいはリノ、アナクレトゥスの後か、伝承によって異なる)。パウロの書簡(フィリピ4:3)に「クレメンス」という名の協力者が挙げられており、これを同一人物とみなす伝承が古くから存在します。フラウィウス家の解放奴隷の家庭に生まれたとも、ドミティアヌス帝の廷臣フラウィウス・クレメンスと関係があるとも伝えられますが、確認する手段はありません。

88年から99年頃までローマ教会を指導したとされ、この時代に書かれた「コリント人への第一の手紙(クレメンスの書簡)」は真正性が高く、新約聖書外典の中でも最も重要な初期文書のひとつです。この書簡はコリント教会の内紛に対してローマ教会の側から介入・調停した文書であり、初期ローマ司教座の権威を示す重要な史料とされています。

殉教に関する記録はドミティアヌス帝の迫害(96年頃)またはトラヤヌス帝の時代(98-117年)に関連するとされていますが、確実な史料はなく、後代の伝承(錨をつけて海に沈めるという殉教方法)の信憑性は低いとされています。

Episode / エピソード・伝承

クレメンスの伝説の中で最も広く知られるのは、クリミア半島での宣教と殉教の物語です。流刑地クリミアで多くの奇跡を行い、最終的に錨をつけられて黒海に投げ込まれたと伝えられています。9世紀にキュリロスとメトディオスがクリミアで彼の遺物(錨と遺骸)を発見してローマに持ち帰ったとされており、ローマのサン・クレメンテ聖堂に安置されています。

このサン・クレメンテ聖堂はローマで最も歴史的な多層構造の聖堂で、12世紀の聖堂の下に4世紀の教会、さらにその下に1世紀の建物が重なっており、クレメンスの時代にまでさかのぼる痕跡が考古学的に確認されています。船乗りの守護聖人として錨が彼のシンボルとなり、現在もカトリック・東方正教会・聖公会で崇敬されています。

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