十字架

マロナイト十字

レバノンに根を張る、シリア系典礼カトリック教会の紋章
Maronite Cross(英)/ Antiochene Cross / Croix maronite(仏)
マロナイト十字
※ 上から短い順に三本の横棒が並ぶ十字。西方教会の教皇十字と非常によく似た形をしていますが、レバノンを中心とするマロン派教会という、まったく別の伝統に由来する紋章です。
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Origin / 由来・語源

マロナイト十字は、マロン派教会の総主教会議(パトリアーカル・シノド)を象徴する紋章で、総主教・教区長をはじめとするマロン派教会の高位聖職者たちの印です。「アンティオキアの十字架」という別名も持ち、これはマロン派総主教が今も名乗る「アンティオキアと全東方の総主教」という称号に由来します。上に行くほど短くなる三本の横棒が並ぶその姿は、西方教会の教皇十字とほとんど見分けがつきませんが、二つはまったく別々に育った、独立した伝統です。装飾を持たない簡素な三本線で描かれることが多い一方、各横棒の先端に三つ葉状の房飾りを添えた、より装飾的な様式で表されることもあります。

Meaning / 聖書的・神学的な意味

教皇十字における「横棒の数=権威の階梯(1本は一般、2本は総主教、3本は教皇のみ)」という西方の理屈とは異なり、マロン派の伝統ではこの三本の横棒を、磔刑という出来事そのものの構造として読み解きます。一番上の短い横棒はピラトが掲げさせた罪状書き(タイトゥルス)、中央の横棒はキリストの両腕が広げられた横木(パティブルム)、そして一番下の横棒は足を支えた台(スペダネウム)を表すとされ、正教十字のページで見た三本線の読み方と、根は同じ聖書的な発想を共有しています。同じ「三本線」という形が、教派によって「権威の階梯」と「受難の構造」という、まったく異なる意味の読み方をされてきたわけです。なお、マロン派教会はこの三本線の十字だけでなく、総主教庁の紋章にある司教冠や、レバノン・マロン会宣教修道会の紋章に見られる「モリン十字(先端が渦を巻くように分かれた形)」など、複数の十字の意匠も併せて用いています。

History / 歴史的背景

マロン派教会の起源は、4世紀末から5世紀初めにかけて、シリア北部キュロスの山中で隠修士として生きた一人の修道士、聖マロンに遡ります。410年頃に彼が没すると、従った人々はオロンテス川流域に彼を記念する修道院「ベイト・マロン(マロンの家)」を築き、これがマロン派共同体の出発点となりました。マロン派はカルケドン公会議(451年)の教義を固く守る立場をとったため、この地域で優勢だった非カルケドン派(単性論)の勢力から迫害を受け、伝承によれば350人もの修道士が殺害されたとされています。生き残った人々はレバノンの山岳地帯へと逃れ、以来今日に至るまで、マロン派教会とレバノンの結びつきは続いています。685年から707年にかけてアンティオキア総主教を務めた聖ヨハネ・マロンは、初代マロン派総主教として崇敬されており、その指導のもと684年にビザンティン帝国軍を退けたことで、マロン派は独立した共同体としての歩みを確かなものにしました。

今日のマロン派教会は、東方典礼カトリック教会の中でも最大級の規模を持ち、他に類を見ない独自の立場にあります。多くの東方典礼カトリック教会が、歴史のどこかで正教会から分離し、後になってローマと再び一致するという経緯をたどったのに対し、マロン派教会は創立以来一度も途切れることなく、ローマ教皇座との完全な一致を保ち続けてきました。典礼は今も古い西シリア典礼の様式を守り、シリア語(アラム語系)で行われますが、日常語はアラビア語です。総主教は「アンティオキアと全東方の総主教」という古い称号を名乗り、ベイルート近郊のブケルケに座を置いています。興味深いことに、この「アンティオキア総主教」という称号は、シリア正教会・コンスタンティノープルと交わる正教会・マロン派カトリック・メルキト・ギリシャ・カトリック・シリア・カトリックと、現在五つの異なる教会の首長がそれぞれに名乗っており、この地域のキリスト教が歴史の中でいかに枝分かれを重ねてきたかを、今に伝えています。

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