十字架

エルサレム十字

十字軍時代のエルサレム王国に由来する、五つの十字が集う紋章
Jerusalem Cross(英)/ Crusader's Cross(英)/ Croix de Jérusalem(仏)/ Five-fold Cross
エルサレム十字
※ 大きな中央の十字(クロス・ポテント)の四隅を、四つの小さなギリシャ十字が囲む、合わせて五つの十字からなる紋章。十字軍時代のエルサレム王国の紋章として知られ、今もフランシスコ会聖地管区の紋章として使われ続けています。
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Origin / 由来・語源

エルサレム十字は、両端が広がったクロス・ポテント(杖頭十字)を中央に据え、その四隅に生まれる四つの区画それぞれに小さなギリシャ十字を配置した、五つの十字からなる図像です。もっともよく知られる由来は、1099年の第一回十字軍によるエルサレム征服後に建てられた「エルサレム王国」の紋章としての姿です。この紋章は伝統的に、王国の初代統治者ゴドフロワ・ド・ブイヨンに帰せられてきました。ゴドフロワは、救い主が茨の冠をかぶった地で自分が黄金の冠をかぶるわけにはいかないとして「王」の称号を退け、代わりに「聖墳墓の守護者」と名乗ったと伝えられています。

興味深いのは、この意匠がゴドフロワ本人によって実際に使われていたと確認できる同時代の記録が見当たらない、という点です。五つの十字を組み合わせる図像自体は、後述の通りそれ以前から存在していた可能性があるため、ゴドフロワがこれを採用すること自体は年代的に不自然ではありません。ただ、12世紀の歴代エルサレム王自身が用いた印章には、この五重十字ではなく、都市そのものを様式化して描いた図が使われており、「金地に銀の十字」というこの紋章がはっきり文献に記録されるのは、1210〜1212年にエルサレム王であったジャン・ド・ブリエンヌの死(1237年)を記した年代記作者マシュー・パリスの記述からです。つまり「ゴドフロワが考案し、身につけていた」という語られ方は、同時代の裏付けを欠いたまま、後世に形成され定着していった伝統である可能性が高いのです。

Meaning / 聖書的・神学的な意味

五つの十字が何を表すかについては、複数の解釈が並び立っています。最もよく知られるのは「キリストの五つの傷」を表すという読み方で、四つの小さな十字が両手両足の釘の傷、中央の大きな十字が槍で刺された脇腹の傷を表すとされます。もう一つの有力な解釈は「キリストと四福音書記者」で、中央がキリスト自身、四隅がマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四人の福音書記者を表すというもの。さらに「キリストと全世界の四方」、すなわち福音が地の果てまで伝えられるという宣教の広がりを示すという読み方もあり、単一の正解があるわけではありません。

この紋章にはもう一つ、紋章学上の有名な逸話があります。西洋紋章学には「金属の上に金属を置いてはならない」という基本原則(ティンクチャーの法則)があり、金と銀(白)はともに「金属色」として扱われるため、通常この組み合わせは許されません。ところがエルサレム十字は、まさにこの禁じ手である「銀地に金の十字」を堂々と用いています。これは単なる例外ではなく、エルサレムという都市の聖性が、地上の紋章学の規則すら超越するほど特別であることを示すための、意図的な違反だったと説明されています。

History / 歴史的背景

五つの十字を組み合わせるという図像自体は、実は十字軍よりもさらに古く、5〜6世紀の東方キリスト教美術にまで遡るという指摘もあります。だとすれば、十字軍時代のエルサレム王国はこの図像を発明したのではなく、既存の意匠を自分たちの紋章として選び取り、広めた側だったということになります。王国は1291年に滅びますが、紋章そのものは生き延びました。14世紀、教皇庁から聖地の聖跡管理を託されたフランシスコ会は、このエルサレム十字(会では赤色で表す)を自らの紋章として採用し、今日に至るまで「聖地管区」の印として使い続けています。現在ではエルサレム・ラテン総大司教区や、教皇庁公認の騎士修道会である聖墳墓騎士団の紋章としても使われています。

また十字軍の時代以降、エルサレム十字は聖地巡礼そのものと深く結びついていきました。エルサレムを訪れた巡礼者たちは古くからこの印を旅の証しとして持ち帰り、なかにはエルサレム旧市街の刺青職人のもとでこの十字を体に刻んでもらう者もいました。この巡礼者向けの刺青の伝統は数百年にわたって受け継がれ、今日でも続いています。

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