聖コルベ神父 - The Sacred Secret
聖人・殉教者・司祭

聖コルベ神父

マキシミリアン・マリア・コルベ
Saint Maximilien Kolbe(仏)/ Saint Maximilian Kolbe(英)/ Sanctus Maximilianus Maria Kolbe(羅)
◆ 年代1894年1月8日〜1941年8月14日(享年47歳)
◇ 出身地ポーランド・ズドゥンスカ・ヴォラ
◆ 祝日8月14日
◇ 守護分野薬物依存者・ジャーナリスト・政治犯・家族・無原罪の御宿りへの信心
◆ シンボル
フランシスコ会修道服 囚人番号16670 注射器(致死注射) 聖母マリア
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Life / 生涯

聖マキシミリアン・マリア・コルベは1894年1月8日、ポーランドのズドゥンスカ・ヴォラにコンベンツァル・フランシスコ会士の家庭の子として生まれました。幼少期から聖母マリアへの強い信仰を持ち、12歳の時に聖母が現れ純潔と殉教の二つの冠を示したという体験を語っています。ローマで神学と哲学を学び、1918年に司祭に叙階されました。

コルベは「無原罪の騎士団(Militia Immaculatae)」を創設し、印刷・出版を通じた聖母への信心の普及に献身しました。ポーランドで発行した雑誌「無原罪の騎士」は最盛期に100万部を超える発行部数を誇り、日本の長崎にも「聖母の騎士」修道院を創設して宣教活動を行いました。

第二次世界大戦中の1941年2月、ゲシュタポに逮捕されアウシュビッツ強制収容所に送られます。同年7月、脱走した囚人への報復として10人が餓死刑に選ばれた際、家族を持つ男性フランティシェク・ガヨヴニチェクの代わりに自ら進み出て身代わりを申し出ました。コルベは地下の餓死牢で仲間を励まし続け、2週間後の1941年8月14日、カルボール酸(フェノール)の注射によって殺害されました。1982年に教皇ヨハネ・パウロ2世によって「愛徳の殉教者」として列聖されました。

Episode / エピソード・伝承

コルベが身代わりを申し出た瞬間の場面は、アウシュビッツの生存者たちの証言によって詳細に伝えられています。収容所のSS将校の前に進み出て「私はカトリックの司祭です。私はあの人の代わりに死にたい。私は年老いていて、彼よりも役に立ちません」と語ったとされます。将校はこの申し出を許可し、ガヨヴニチェクは生き延びて1995年まで長生きしました。

餓死牢の中でコルベは仲間の囚人たちと祈りを捧げ続け、苦しみの中にも平和を保ったと生存者は語っています。彼の死はアウシュビッツという極限の状況の中で示された人間の尊厳と愛の証として、世界中で語り継がれています。日本の長崎に建てられた聖母の騎士修道院は今も活動を続けており、コルベは日本とポーランドの絆を象徴する人物としても記念されています。

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