教皇聖コルネリウス - The Sacred Secret
聖人

教皇聖コルネリウス

コーネリウス/コルネーリウス
Saint Cornelius(英)/ Sanctus Cornelius(羅)
※ 「コルネリウス」という名の聖人は複数います。このページは3世紀ローマの教皇・殉教者についてのものです。新約聖書に登場するカイサリアのローマ百人隊長コルネリウス(使徒言行録10章、祝日2/2)とは別人です。
◆ 年代生年不詳〜253年6月頃
◇ 出身地ローマ
◆ 祝日9月16日(聖キプリアヌスと共に)
◇ 守護分野耳の病気・てんかん・家畜・牛・角のある動物
◆ シンボル
教皇の三重冠 棕櫚の枝 角(つの)
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Life / 生涯

コルネリウスは251年3月にローマ教皇に選出されました。デキウス帝による迫害(250年)が終息した直後のことで、教会は長期の空位期間を経てようやく新教皇を迎えました。この時期の教会の最大の課題は「背教者問題」でした。迫害下で信仰を棄てて生き延びた者(背教者)を、悔い改めを条件に再び教会に受け入れるかどうかという深刻な議論が巻き起こっていたのです。

コルネリウスは、カルタゴの司教聖キプリアヌスとともに「悔い改めた背教者は赦免できる」という寛容な立場を支持しました。これに対してノヴァティアヌスは「背教者の赦免は不可」として対立教皇を名乗り、教会は分裂の危機を迎えます。コルネリウスはローマとアフリカ各地の司教たちの支持を得て正統性を確立し、ノヴァティアヌス派を異端として断罪しました。

253年、ガッルス帝の迫害が始まるとコルネリウスはチウィタヴェッキア(当時のケントゥムケラエ)に追放され、その地で劣悪な環境のもと衰弱し息を引き取りました。直接の処刑ではなかったものの、教会は彼を殉教者として讃えています。遺体はローマに運ばれ、聖カリストゥスのカタコンベに葬られました。

Episode / エピソード・伝承

コルネリウスと聖キプリアヌスの間には、現在も残る書簡の往来があります。キプリアヌスはコルネリウスに対して「あなたは剣よりも信仰において先に殉教を果たした」と書き送りました。この言葉は、血を流す殉教だけでなく、迫害と亡命のなかで信仰を貫いたことを殉教として位置づける重要な証言となっています。

コルネリウスのラテン語名「Cornu(角)」に由来するとされる民俗信仰から、中世ヨーロッパでは彼が角のある動物(牛・ヤギなど)の守護聖人として崇められるようになりました。また「コルヌ(角)」と「コロナ(冠)」の語呂が耳(ear)を連想させることから耳の病気への取り次ぎとして祈願される習慣も生まれ、てんかんや家畜の病気への守護聖人としても民衆に親しまれました。

9月16日の祝日はカルタゴで同時期に殉教した聖キプリアヌスと合わせて記念されており、二人の間の深い友情と神学的連帯を今に伝えています。

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