聖ダニエーレ・コンボーニ - The Sacred Secret
聖人

聖ダニエーレ・コンボーニ

ダニエーレ・コンボーニ/アフリカの使徒
San Daniele Comboni(伊)/ Saint Daniel Comboni(英)/ Sanctus Daniel Comboni(羅)
◆ 年代1831年3月15日〜1881年10月10日
◇ 出身地リモーネ・スル・ガルダ(ブレシア県・イタリア)
◆ 祝日10月10日(列聖:2003年10月5日)
◇ 守護分野宣教師、援助活動従事者、コンボーニ宣教女会、イエスのみ心コンボーニ宣教会、中央アフリカ
◆ シンボル
司教冠・十字架 アフリカの地図 宣教師の衣
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Life / 生涯

ダニエーレ・コンボーニはイタリア北部ガルダ湖畔のリモーネ・スル・ガルダに貧しい農家の末子として生まれた。8人兄弟のうち成人まで生きたのはダニエーレ一人だった。12歳でヴェローナのニコラ・マッツァ神父の施設に入り、神学・医学・複数の言語を学びながら宣教への召命を深めた。1854年12月31日に司祭として叙階され、1857年に同志5人とともに中央アフリカ・スーダンへの最初の宣教に出発した。4カ月後にカルトゥーム(現スーダン首都)に到着したが、極度の気候と疾病のため仲間が次々と倒れ、コンボーニ自身も発病して2年後にイタリアに帰国せざるを得なかった。

イタリアに戻ったコンボーニはローマの聖ペトロの墓前で祈り続け、「アフリカはアフリカによって救われる」というビジョンを得た。ヨーロッパ人宣教師が現地に入るだけでなく、アフリカ人自身が伝道者となる育成計画を立案し、ヨーロッパ各地の王侯貴族・司教・庶民に支援を訴えた。1867年にヴェローナでコンボーニ宣教会(現コンボーニ・ミッショナリー)を創設、1872年にはコンボーニ宣教女会を設立した。女性を組織的にアフリカ宣教に派遣した最初の人物ともされる。1870年の第一バチカン公会議ではアフリカ宣教への教会関与を訴えて70名の司教の署名を集めた。1877年に中央アフリカ代牧区司教に任命され、翌年カルトゥームを拠点に着任。飢饉・疫病・奴隷制と戦いながら第8回目のアフリカ渡航となった1881年10月10日、カルトゥームで50歳にて永眠した。1996年に列福、2003年に教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。

Episode / エピソード・伝承

コンボーニの口癖は「アフリカか、さもなくば死か(Africa o morte)」であったとされ、その言葉どおり彼はアフリカの地で息を引き取った。臨終の言葉として伝えられるのは「私は死ぬ。しかし私の仕事は死なない」という一句で、今もコンボーニ宣教会の精神的基盤となっている。

コンボーニは奴隷制度に対して教会の立場から声を上げ続けた先駆者でもあった。ヨーロッパ各地を行脚して援助を募り、奴隷として売られたアフリカの子どもたちを身請けして教育する計画を実行に移した。またイタリアで最初の宣教誌を創刊し、アフリカの現状を広く知らしめた。今日コンボーニ宣教会は世界40カ国以上で活動を続けており、「アフリカはアフリカによって救われる」という彼のビジョンは現代の現地主導型宣教の先駆けとして評価されている。

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