日本二十六聖人(聖パウロ三木と仲間たち) - The Sacred Secret
聖人

日本二十六聖人(聖パウロ三木と仲間たち)

にほんにじゅうろくせいじん/長崎西坂の殉教者たち
Saints Paul Miki et Compagnons(仏)/ Saints Paul Miki and Companions(英)/ Paulus Miki et Socii(羅)
◆ 年代 1562年頃〜1597年2月5日(殉教)
◇ 出身地 摂津国(現大阪府)ほか日本各地
◆ 祝日 2月6日
◇ 守護分野 日本・日本のカトリック信者
◆ シンボル
十字架(磔刑) 槍(処刑の道具) 棕櫚の枝(殉教) 日本の衣装
画像準備中 - Image Coming Soon

Life / 生涯

聖フランシスコ・ザビエルが1549年に日本にキリスト教をもたらして以来、各地に信仰共同体が生まれました。パウロ三木は1562年頃、摂津国(現大阪府)の武士の家に生まれ、イエズス会の学校で教育を受けた後、1580年にイエズス会に入会。雄弁な説教師として多くの人々を信仰に導きました。しかし権力者豊臣秀吉は宣教師の影響力とキリシタンの増加に危機感を抱き、1587年に伴天連追放令を発します。

1596年、サン・フェリペ号事件をきっかけに秀吉の怒りが爆発。パウロ三木ら6人のフランシスコ会宣教師・3人のイエズス会士・17人の日本人信者の計26人が逮捕されます。一行は京都から長崎まで約1,200kmを歩かされ、見せしめとして各地を引き回されます。1597年2月5日、長崎の西坂の丘で26人は十字架に架けられ、槍で刺し貫かれました。彼らは処刑の間、賛美歌を歌い続けたと伝えられています。1862年、教皇ピウス9世によって列聖されました。

Episode / エピソード・伝承

パウロ三木は十字架の上から最後の説教を行い、「私は日本人であり、この国に生まれたことを誇りに思う。私はキリストのために喜んで死ぬ。皇帝も奉行も私を死刑にしたことを恨まない。神に感謝し、皆が洗礼を受けてキリスト者になることを願う」と語りかけたとされています。26人の中には12歳・13歳の少年も含まれており、最年少の聖ルドヴィコ茨木は13歳でした。処刑を見物していた民衆は彼らの毅然とした態度に驚嘆したと伝えられています。

この殉教はむしろ日本でのキリスト教拡大を促し、1614年頃には約30万人の日本人カトリック教徒が存在したとされます。しかし江戸幕府はより徹底した弾圧を加え、後には「踏み絵」制度によって信者を摘発し続けました。長崎の「二十六聖人記念館」と「日本二十六聖殉教者聖堂」は現在も多くの巡礼者が訪れます。彼らは東アジア初の正式に列聖された殉教者として、アジアのキリスト教史に永く刻まれています。

PICK UP ITEMピックアップ商品

もっと見る
  • メダイのサイズ保管方法

最近チェックした商品

最近チェックした商品はまだありません。