ケルンの聖ブルーノ - The Sacred Secret
聖人

ケルンの聖ブルーノ

ブルーノ・フォン・ケルン/カルトジオ会の創設者
Sankt Bruno von Koln(独)/ Saint Bruno of Cologne(英)/ Sanctus Bruno Coloniensis(羅)
◆ 年代1030年頃〜1101年10月6日(享年70歳頃)
◇ 出身地神聖ローマ帝国・ケルン(現ドイツ)
◆ 祝日10月6日
◇ 守護分野カルトジオ会・悪魔祓い師(エクソシスト)・悪魔憑きの人々・ポゼンツァ市(イタリア)
◆ シンボル
白い修道衣 頭蓋骨(memento mori) 十字架 書物 7つの星
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Life / 生涯

ブルーノは1030年頃、神聖ローマ帝国のケルンに生まれた。ランスの大聖堂学校で学び、優秀な神学者・教育者として頭角を現し、後にランス大聖堂学校の校長として教鞭をとった。その教え子の中には後に教皇ウルバヌス2世となるオドン・ド・ラジェリーもいた。学識と評判から大司教職への道も開けていたが、ランス大司教マナセスの腐敗した統治を批判したことで対立が生じ、一時は財産を没収されるなど苦境に立たされた。

こうした世俗の権力抗争への幻滅と深まる観想生活への渇望から、ブルーノは1084年、6人の仲間とともにグルノーブル司教聖ユーゴのもとを訪ね、人里離れた場所を求めた。司教は夢のお告げに従い、一行をアルプスの山中シャルトルーズ(グランド・シャルトルーズ)の地へ案内した。ここに建設された修道院がカルトジオ会(カルトゥジア会)の発祥となり、厳格な独居・沈黙・祈りを核とする修道生活が始まった。

1090年、かつての教え子である教皇ウルバヌス2世の要請でローマに召喚され、教皇の顧問として仕えた。教皇はブルーノに司教職を勧めたが固辞し、イタリア南部カラブリア地方のラ・トッレに新たな隠修共同体を設立して余生を送った。1101年10月6日に逝去。列聖は1514年。カルトジオ会はその後も最も厳格な修道会のひとつとして現在まで続いている。

Episode / エピソード・伝承

ブルーノにまつわる最も有名な伝説が「死者の警告」である。ランスでの教職時代、ある著名な神学者の葬儀ミサの最中に、その棺の中の遺体が突然起き上がり「神の正義の裁きにより私は告発された」「神の正義の裁きにより私は断罪された」と三度叫び、横たわったという。この出来事に衝撃を受けたブルーノは世俗への執着を断つ決意を固め、修道生活への転換を歩み始めたとされる。この伝承は後世の創作との見方もあるが、中世を通じて広く語り継がれた。

また、ブルーノが設立したシャルトルーズ修道院では「神に栄光を、隣人に平和を、自分に孤独を(Deo Gloria, Hominibus Pax, Mihi Solitudo)」という精神が受け継がれた。カルトジオ会は「改革されたことがない唯一の修道会」と称されるほど創設当初の厳格さを保ち続けており、この点においてブルーノの遺産は今なお生きている。カルトジオ会が製造・販売するリキュール「シャルトルーズ」はその名を世界に知らしめている。

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