聖サミュエル(証聖者) - The Sacred Secret
聖人

聖サミュエル(証聖者)

サムエル・ザ・コンフェッサー/カラモウンのサムエル
Samuel the Confessor(英)/ Saint Samuel of Kalamoun(英)/ Abba Samuel(コプト)
※ 聖サミュエル(証聖者)は6-7世紀エジプトのコプト正教会の修道院長・聖人で、コプト正教会・東方諸教会において崇敬されています。ローマ・カトリック教会への正式列聖の記録はありませんが、修道士の姿を描いたメダイが「Saint Samuel」として広く流通しています。修道士の頭巾・十字架付きの杖を持つ図像はこの聖人に由来します。
◆ 年代597年頃 - 695年12月17日
◇ 出身地エジプト・ダクルバ(上エジプト)
◆ 祝日12月17日(コプト暦:キアック8日)
◇ 守護分野修道士・修道院、信仰の証人、迫害を受けるキリスト教徒
◆ シンボル
修道士の頭巾(カウル) 修道院長の杖(十字架付き) 片目(迫害の傷跡)
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Life / 生涯

聖サミュエル(証聖者)は597年頃、エジプト上部のダクルバに司祭の息子として生まれた。幼い頃から修道生活を志し、ワディ・ナトルン(スケティス)のアバ・アガトンという長老のもとで修行を積み、後にサン・マカリウス修道院の司祭に叙階された。

当時のエジプトはカルケドン公会議(451年)をめぐる神学的対立が激しく、ビザンティン帝国の皇帝代理キュロスがカルケドン信仰を強制しようとしていた。サミュエルはコプトの正統信仰を守るために皇帝の勅令を公然と拒否し、その文書を引き裂いた。激怒した皇帝代理の命令で激しい鞭打ちを受け、片方の目を抉り出された。その後スケティスから追放され、流浪の末にファイユーム近郊のカラモウン山に導かれた。

カラモウン山でサミュエルは修道院を建て、多くの弟子を集めた。異教徒のベルベル人に二度拉致されて奴隷とされたが、そのたびに信仰を守り脱出した。聖母マリアが「この地は永遠に私の住まいとなる」と語りかけたという幻視を受け、修道院は聖母の加護の場とされた。695年12月17日に帰天。彼が建てたカラモウン修道院は今もエジプト中部のミニャ県に現存し、コプト正教会の重要な修道院として機能している。

Episode / エピソード・伝承

「証聖者(Confessor)」とは東方教会の尊称で、死には至らなかったものの信仰のために拷問・苦難を受けた人物に与えられる。サミュエルは片目を失い、追放・拉致・奴隷という苦難を重ねながらも一度も信仰を捨てなかったことから、この称号で呼ばれる。コプト正教会の図像では、片目を閉じた(または潰れた)姿で描かれることが多い。

サミュエルはまた、アラブ人のエジプト征服(641年)という歴史的激変をその目で見届けた。征服後も修道院を守り続け、弟子たちを励ましながら生涯を全うした。「カラモウンのサムエルの黙示録」と呼ばれるコプト語テキストにその名が伝わり、修道院の霊的遺産として今日まで伝承されている。修道士の頭巾と十字架付きの杖を持つメダイの図像は、この聖人の伝統的な描写に基づいている。

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