聖人

聖ヨゼフ・フライナーデメッツ

ヨゼフ・フライナーデメッツ/ヨセフ・フライナーデメッツ
Josef Freinademetz(独)/ Saint Joseph Freinademetz(英)/ Sanctus Iosephus Freinademetz(羅)
◆ 年代1852年4月15日 - 1908年1月28日
◇ 出身地オイエス(ラディン語圏・現イタリア南チロル)
◆ 祝日1月29日
◇ 守護分野中国、海外宣教師、ラディン語話者
◆ シンボル
中国人の衣装 十字架 神言会(SVD)の会服
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Life / 生涯

ヨゼフ・フライナーデメッツは1852年4月15日、当時オーストリア帝国領チロル地方(現イタリア・南チロル)の小村オイエスに生まれました。ラディン語を母語とする農民の家庭で育ち、ブレッサノーネ(ブリクセン)の神学校に進んで1875年7月25日に司祭叙階を受けました。故郷に近いサン・マルティーノ・ディ・トルの小教区に赴任した後、海外宣教への強い召命を感じ、1878年にオランダ・シュタイルで創設されたばかりの神言会(SVD)に入会しました。

1879年、同会の仲間ヨハン・バプティスト・フォン・アンツァーとともに香港に向かい、その後山東省南部の宣教地に移りました。フライナーデメッツは中国語を習得し、中国の衣服をまとい、生活様式を徹底的に現地化することで、宣教師というより中国人として生きることを目指しました。彼の口癖は「天国では中国人でいたい」というものでした。30年近くにわたる献身的な宣教活動の中で、中国語による教理書を執筆し、現地聖職者と信徒の育成に力を尽くしました。

1907年に山東省でチフスが流行すると、フライナーデメッツは患者の看護を続け、自らも感染して1908年1月28日に帰天しました。1975年に福者、2003年10月5日に教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖されました。

Episode / エピソード・伝承

フライナーデメッツが中国宣教に持ち込んだ姿勢は、後の第2バチカン公会議が掲げる「文化適応(インカルチュレーション)」の先駆けとして高く評価されています。彼は信仰を押しつけるのではなく、中国文化の美しさと深さを認め、愛することを宣教の基本としました。教皇ヨハネ・パウロ2世は列聖説教の中で「フライナーデメッツは宣教地を第2の故郷とし、そこに住む人々を自分の家族とした証人の愛を体現した」と述べています。

彼の残した言葉「愛は誰もが理解できる唯一の言語だ」は、今日も神言会の宣教精神を象徴する標語として受け継がれています。

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